「とある蛙 哲学」について/ぎょうてんかん
 
これは、「時間」を作ろうとしても、それは「無い」し、「言葉も無く」、「自分が無い」ということなのだろう。禅問答の一種と見られる。しかし一読者の私としては、「哲学」に普通の問答を期待するし、それが詩の体裁をとっていればもっと良いと考える。次回、作者自身の問答において、途中経過の報告を期待する。
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