Let the people play??The Game. 銀上かもめ /「街」/葉月二兎
介するのは「誰か」という「他者」である。「言葉」は意味=方向をなさないが、「他者」と結びつくことによって、それは「両義性」を得て、このゲームは終盤をむかえる。こうして「読み手=書き手」となった「言葉」は、「誰か」の元へ歩みをすすめるのである。
さて、いささか長くなってしまったこのゲームだが、読者としてはその勝敗が気になるところではあるだろう。この作品を作り出し、“読む”ことによって読み手を「ぼくの街」へと、ゲームへと誘い出し、“読み”を留まらせ、時には不意打ちにしてチェックメイトにまでもっていった「書き手」であろうか。
―――ここで「読み手」たる私は最後の手を打とう。私はこの「街」に向
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