Let the people play??The Game. 銀上かもめ /「街」/葉月二兎
 
す。
あたかもロメールの「獅子座」における任意の人“ピエール”がパリの街を“意味=方向(Sens)”なく彷徨することによって、フィルムの回転数を定義しているのと同じく、この作品の言葉もまた両義性に満ちている。


そっとどこかで街が消えるように
どこかに街がある


それはまた、作品の読み手に向けられた「どこでもない場所」のことでもある。
すなわち、「街が消えるように/どこかに街がある」という一つ目の両義性。
例えば詩の場所における定義の問題―――「ぼくの街がある」。

作品を両義性に対し、書き手と読み手のゲーム間に賭けられているものは、その意味ではなく、不確実性その
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