「反逆する読者」宣言/KETIPA
公園が描かれた時に洗面器を想起してもいい、といった、言葉の意味にとらわれない詩の読み方を厭いません。
作者の意図にかかわらず、自分が作品そのものから感じた印象を重視することを厭いません。
詩にこめられた物語性を一々意識せず、勝手に解釈することを厭いません。
詩の中間から最後に飛び、また中間部を読むなど、好きな部分を好きなだけ読むような読み方を厭いません。
詩にはある程度の決まった読み方がある、という考え方を無視することを厭いません。
読者は読み手である一方、作り手であっても構わないと思う。それはなにも、読んでいるだけではなく詩を書け、という意味ではない。詩から独自のイ
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