手/森の猫
 
た翔の父親らしき声がする。朱実がそちらに目をやると翔くんと呼ばれるパパとママは駅看板の陰で風をよけて腰から下しか見えない。
 「翔、走っちゃダメよ」上等なウールのロングコートにロングブーツの母親も声だけで注意する。が、その場所から離れようとはしない。翔の動きはとどまるところを知らず、雨でビショビショになったホームを今にも転びそうに飛びまわっている、広そうで狭いプラットホームだ。

何故注意だけして、翔くんを追って手をつないであげないんだろう?四十路の朱実は不思議でならない。自分の子供たちもこういう場所では手はいつもつないでいるものだと思い育ててきた。
 「ショーちゃ〜んこっちよ〜」その言葉に翔は身を翻し、声のするほうへ走った。
 その時、渋谷行きの電車が入ってきた。一瞬のうちに、翔のちいさな体はその中に吸い込まれていった。

 呼んだのは翔のママではなかった。違うショーちゃんのママだ。本物の翔のママとパパは急停車した電車を我ことではないかのようにつったって見ていた。

 お母さん、その手を離さないで・・・

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