下駄ばきにミニシガー/m.qyi
してはあまりよくないのだが、最初の想像に近い感じがでてくる(いつも感じですまないけれど)。その感じが正しいとすると(感じが正しいかどうかどうやったら判るんだろう?そもそもそんな感じが本当に在ったんだろうか?)、僕がこの詩が好きな感じがするという感じには、「二階屋」、「蝶」、「飼う」、「おとこ」なんてのは全て道具立てではあるが、役者(=詩のよさ)じゃない。「なり」一つがイメージの流れを決定していることになる。僕の感じでは、「です」の時は時間が始まって行くのに、「なり」の場合は、時間が過去から始まって来るというより、今の時間と隔たりがあるというより、断絶さえある。(と書いてみて、ああ、なるほど死んでし
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