観照なのか過干渉なのか不感症なのか性感染症はない私 ;/salco
 
何故なら当時から現在に至るまで、私は一度とし
て金に困った事はないのだ。足るも足らぬも八卦に非ず、勝手である。それを余人が言
い立てるのこそ余計なお世話というものだ。

楽しくて悪いか、うれしくて悪いか、恋をして愛して、哀しくて寂しく、儚くて空しく
薄い構造が悪いか。そんな他者への感応は怠慢惰眠であるのか。将来を世界をヒトを憂
えるには、それらへの否定を必須とするのか。鳥に首輪を着ける事の意義は何だ?
個の人間性も、社会集団としてのそれも、然るべき局面を突きつけられた時に初めて問
われるのではないのか。机上の空論、方法論ではなく、その時人間として生まれたおの
れに、或いは何者かに恥ずかしくない行動を示せばいいんでねえのけ。
ミャンマーで殺されたジャーナリスト、転落の泥酔者を救出した韓国人留学生とカメラ
マン、マザー・テレサやヴェトナムの「バーベキュー」坊主達、コルチャック先生とコ
ルベ神父、数多の名もなき非転向獄死者、伴天連信者。幸福な王子と足元のつばめ。
実に無数の、無名の人々が己が生命を賭して語って来た行為こそが思想の結実点では
ないのか。

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