メーデー/salco
を迎えに車を走らせ自宅へ運び込んだの
も、やはり母とその男子だったのだ。
命ある父をとうとう許せなかった私は、菊やカトレアの芳香に埋もれた遺
体の傍らに謝罪の手紙とパパの娘だった頃の写真を1枚入れ、嘆きやまぬ
姉の入れた日本酒の5合瓶は細心な焼き場職員によりつまみ出されたが、
ウィスキーの小瓶の方は昇天しおおせたと見え、父の大腿骨を見事な桜色
に染め上げたのだった。
どれも珊瑚の死骸のように乾き、かわらけのように軽くなった骨の中で、
とりわけ耳孔を残した側頭部の薄片は、むかし砂浜で拾った小さな貝殻を
思わせた。これを耳に当てたら海風の音がするんだろうな、と思った。
それでも上背があり強壮だった父の骨は、係の人が讃嘆しつつ掌底で押し
込まないと壷に収まり切らないほどではあった。
そしてその日初めて、生前ソ連の現状にようやく社会主義の行き詰まりを
認める発言をしていたと兄から聞いた。
全く誤謬の多い男であったが、そんな父が秘匿していた知性のかけらは愛
おしく思う。そのようにメーデーは昔から私にとって赤ではなく、5月の
空色で記された日だ。
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