機は熟している、はずなんだけど。/佐々宝砂
まとめたコンセプトアルバムのようなものではなく、手軽にちょっとだけ読むことのできるシングルのような文章が売れるようになるだろう。ていうかすでにそういう状態だ。ケータイ小説がこれにあたる。
この状況は詩にとっていかなるものか。是非はさておき考えれば、詩は、単純に考えて小説より短いことが多い。短さ、圧縮性、意味上のデジタルな飛躍は詩のお得意であり、それはもしかしたらこの時代にとっても似つかわしいものである。
機は熟している、と思うんだけれど。
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