走り書きメモ/結城 森士
、後付の図式化をして、抽象的な記号化をはかるのだ。
勝者と敗者という概念を用いて、人は道徳や善悪を定めようとする。
しかし、善悪というのも安易な二項対立だ。
事象しかないし、現実しかないのだ。そこに信念や概念を付随させる必要はない。
「あるのは事象のみであって、後付の概念など、ただのかっこつけだ。もしくは、現実を見ずにすむようにするための言い訳だ」
「勝者と敗者を図式化することは、"思考の記号化"である。"概念の図式化”とは"思考の言語化"である。それは、構築作業である。」
作られた構築から脱しようとした。
だが、それでは生きていけなかった。
おれは言語と論理性を失いつつある。
言語化、記号化する流れの中に再び立ち返る必要がある。伝えるために。
しかし、おれが記号から脱却しようとしてそこから学んだことは…?得たものはなんだったのだろう…?
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