笹野裕子「今年の夏」をめぐって/葉leaf
 
経過の下方では、「景色は常に後ろ向きに流れる」という常識的認識が流れている。さらに、意味をつかもうとして何度か「ときに景色が/逆に流れる場所がある」を繰り返して読んでいるうちに、その詩行の解釈、たとえば「主体が後ずさりすることを強いられる場所があるという意味である」がその詩行の下方に流れたりする。
 このように、笹野の詩においては、詩行の流れが幾筋かに分岐し、もともとの詩行の流れから分岐しもともとの詩行に対位するものとして、常識的認識や可能的解釈がもともとの詩行とともに流れてゆく。「ときに景色が/逆に流れる場所がある」は、顕在的な詩行として意識の表層に現れやすい。それに対して、潜在する常識的認識
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