笹野裕子「今年の夏」をめぐって/葉leaf
 
レームには、「私」が誰であるか、どんな人であるか、「私」はどのように歩いていたか、どこを歩いていたか、歩いているときどんな出来事があったか、そういう付加的な状況が背景として潜在している。「私は歩いていた」という詩行が書かれたとき、そのような様々な付加的事象が様々な強さで「私は歩いていた」に結びつく。「私は歩いていた」は様々な関連する事象が配置される一つの「場」を作り出すのであり、この「場」が「私は歩いていた」のフレームである。
 詩の一つの連の結束性が強いということは、その連で主題となっている事象のフレームに、それぞれの詩行が典型的なあり方で収まっているということである。この場合、詩の散文性は強
[次のページ]
戻る   Point(1)