「人はなかなか分かり合えない」について/ぎょうてんかん
私は投稿された作品しか知らない。作者が作品を通じてしか外界と通信をしないのだからそれは当然だ。読者は作品を通じてのみその世界を理解するしかない。すると作者は作品を読者にまず理解させる必要がある。
けれども一般にどうして読者を念頭に置いた詩を発表してくれないのだろうか。かろうじてその作品の世界を理解する人はいるらしい。けれどもその理解者自身、作品の解説だけはする。つまりその人は作品を理解しているらしい。けれども第三者、普通の読者には解説者自身が作者と共感しているらしいことぐらいしかわからない。その解説者が作者の分身かと思うしかないのだろうか。
批評が読者の立場に立ってできる以上、読者は作品を批評すればよい。作者のことはどうでもよい。
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