夏のおわり/イシダユーリ
 
と地を位置づけて、それを信じる。嫌がりながら信じる。そうしたら、具体的に位置づくものは神や仏ではなく、祖先だろう。とにかく祖先を信じることはできる。そしてそれが嫌でも間違いでも、いや間違いだから嫌だから信じる。空気の中にはいつでももう死んだ誰かの祖先が漂っている、それは絶対に誰かの祖先なのだから、感じつづけなければならない。いやおうなく分断し繋げ分断し繋げる。感じつづけているから不安で怖いけれど、感じつづけないのならなにもないのと同じだから。わたしの抗いはいつも、そこからなんとか切り離されたいと願うこと。ほんとうにひとりで生きること。わたしの自責は、その空気を吸って吸い続けて感じつづけているのに、
[次のページ]
戻る   Point(11)