パソコンは21世紀の恭次郎を堕胎させるか/KETIPA
って材料は限定的になり、決まったラインに決まった文字を並べることしか出来ない。手法的にはより制限が強くなっている。一見、技術革新によって便利に自由に創作が出来るような雰囲気があるが、実際には造字することすらままならない(写植ならこれまでにない漢字を印刷することも可能だ)。だから個々の文学作品をパッと見たときの印象は、やはりあまりにも均質だ。ここは現代詩フォーラムだというのに、恭次郎の詩作品を引用することすら難しい。「ラスコーリニコフ」なんて画像じゃないと基本的に無理だ。
これと逆の現象が起きているのが音楽だ。パソコンより少し前にシンセサイザーが登場し、さらにパソコンの普及によって、ありと
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