人生の一般的構造/A-29
 
なってきた。

 成就するしないにかかわりなく、全身全霊を傾けた恋愛を経験することは、晩年の人生にとって強い拠りどころとなることは間違いないだろう。たとえ現実的な孤独を抱えていても、なんとか生きて行ける気がする。過去を生きるに過ぎないとしても。

 「純愛」「熱愛」「悲恋」。そういったものが「特殊」か「一般」かはよくわからないが、50年生きてみると人生に一般的な「構造」があるように思えてきた。人はこの構造において泣いたり笑ったり死んだり生きたりしているような感じが…。

 なにをゆうとるのか、ワシ。

 ともあれ、五十にもなれば思い出に生き出すのは一般的傾向であろう。
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