詩が沈黙する時/岡部淳太郎
 
う言語」なのだ。このことは、詩は伝達の手段ではないということを意味する。また、詩がもっと一般に読まれることを企図して、わかりやすい詩を求める態度がいかに本末転倒であるかを示してもいる。なぜ詩は詩という言語なのか。詩が言語で書かれていながら、なぜ言語の本来の機能である伝達を主眼としていないのか。それは詩という表現形式が言葉の持つ可能性を極限まで押し進めるのに最適な形式であり、その必然的な帰結として日常から遊離せざるをえない特質を持っているからだ。古来、詩は神への祈祷であった。また、子供たちの言葉遊びでもあったし、伝説や物語を脚色して表現するために利用されたものでもあった。それらは古い時代においては日
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