【批評祭参加作品】つめたくひかる、3?江國香織の表記/ことこ
る、1―江國香織『すみれの花の砂糖づけ』」の冒頭で、何故今回「つめたい」という言葉を扱うのかということに対して、「なんとなく印象に残ったから、としか答えられない」と書いた。
この、「なんとなく印象に残った」というのが、実はすごいことなのではないかと、先ほど引用した解説の続きを読むとそう思う。
工芸品をつくる職人さんのような技だと思う。完成した作品はとてもなめらかなので、どんな技を使ったか、すぐにはわからない。わからないけれど、確かに技は使われている。わからないということが、何より、技を使ったしるしなのだ。
(『すいかの匂い』解説)
これまで、江國香織の「つめたい」という言葉を巡って、詩においては精神的な隔たりのある場面で、『すいかの匂い』においては精神的に不安定な場面で用いられていることを述べてきた。この、ここぞ、という場面で用いられる「つめたい」という言葉は、やはり江國香織にとって大切にしたい言葉であり、だからこそ私にも、つめたくひかる、言葉として、心に留まったのだと思う。
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