【批評祭参加作品】つめたくひかる、1?江國香織『すみれの花の砂糖づけ』/ことこ
の「つめたい」と同義なのではないだろうか。この、ここの部分。「おっぱい」を「どうぐ」であるという、身体の一部を、物に例えるという物理的な次元で物事を語りながら、精神的な次元での「つめたさ」を語るという、ずらしかた、こういったことを、あたり前のようにやってしまうのが、詩のおもしろさだと、私は思う(もちろんすべての詩にこういった部分があるわけではなく、ある必要性もない)。
ところで先ほど「9才」の「つめたそうに」は「物質の温度が自分の体温より低い」という意味であると断じたが、次の詩を読むと、この「つめたそうに」には、精神的な距離、といったものも含まれているのではないだろうか、と思えてくる。
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