【批評祭参加作品】日々のひび割れ −石川敬大『ある晩秋の週末のすごし方が女のおねだりで決まる』評−/大村 浩一
 
研究」の1月号で、岡井隆との対談で松浦寿輝も「(この閉塞感のあ
る時代に)明るい詩、明るい文学なんて、嘘臭いものにしかならない」と言っ
ている。前後の文脈からそう導かれてもいるのだが、文学の現場にいる人の多
くは、このことを感じていると思う。明るい小奇麗な物件は、マンションでも
詩でもまず疑ってかかるのが、現代人のリアルな感覚ではないだろうか。
 現代詩の詩人ならば、まずもって日常生活のなかに潜む矛盾や無常、人の残
酷さをこそ直視しえぐり出す能力が必要ではないか、と私は考える。
 詩人の目とは、だから自分の関わるあらゆるものから矛盾や違和感を発見で
きる目でなければならない。時には取材も必要だろう。
 そしてそうした違和感の鍵を見つけられないまま書くとか、企画の方向性に
安易に従うとか(反戦詩なんかもそうだぞ)、そういうことをしてはいけない。
皮相的な、月並みな安易なものしか出てこないのなら、そういう素材を選んで
書き始めたこと自体が間違いなのだ。

2010/1/8
大村浩一
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