現代詩をそんな読み方してないゆえに/KETIPA
されることも多いだろうと思う。思うことしか出来ない。こんな内容をこんなに美しく、悲しく、○○しく、書き出している、だからすごい、ということを、感じたことがない。関係ないけど音楽に対しても同じで、歌詞にこめられた意味などに感じ入ることはない。これまでずっと、感動の理由を知らないまま感動している。
そもそも現代詩に親しみ始めた時も、思いがけない言葉のつらなりに対して面白さを感じて、読者になり、地味な書き手にもなった。それでも今でも、言葉で表現された事項に対して別に感動していないということは変わっていない。むしろ強化されていると思う。その代わりに、言語化できない震えのような感動を味わうことが中
[次のページ]
戻る 編 削 Point(9)