私論・詩論・試論/……とある蛙
 
います。自分が伝えたいことを十分伝えるための必要な分量が分からなければ、ただの垂れ流し的な文章になってしまいます。かといって過剰な分量の言葉はヒトを辟易させるだけです。 

最も戦争に反対して消極的ではあるが戦争と向き合った詩人の金子光晴は言う

 深刻そうなこと、利口そうなことを、ナイーブらしいことを、ひとをたぶらかすそんなゼスチュアで自分もごまかされたさに、君、詩なんておかしくって書けるか(ね、心平ちゃん)。(金子光晴「歴程」昭和11年4月「詩にかえて」から)

個人的に私は 奴隷の韻律である七五調の復活があっても良いと思っています。もちろん全てそれで書こうなどとは思っていませんが、七五調で書いてどこが悪いと言うことです。日本語本来の韻律で四拍子になります(このことは研究書が何冊かでていますので勝手に調べてください)。

勝手なことをだらだらと書いておりますが、最後までお付き合い頂いた方、ありがとうございます。
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