靴底の考察/バンブーブンバ
 
そうしたこと自体がまずいのかもしれない。それにしても、歩けば歩くほどに、靴底のヘリは撒き散らされて行く。ボクのヘリのみならず、ボクらの数だけ、靴の数だけ、歩数の勘定だけヘリは日々蔓延し、堆積する。感じられない。まったくその後もボクのヘリの行末が感じられないというこのジレンマは何か。変わらない。そう、つまり、変わらないということだ。ただ、ささやかに「ココニソンザイシテイタ」という事実。伝えてくれる欠片というもの、それが靴底のヘリなのかもしれない。こうしてみると、すでに時間の幻想に絡め取られてしまったかのような訥々さに思わず天を仰ぎたくなった。眩しい。何か刺すような光だ。一息ふかして無意味に汚す。出口。そう、出口なのかもしれない。入口には出口がなくてはならない。文章を書くということもそうであってほしい。出口。ボクらの自律神経は「出口」を渇望している。それがボクらだからだ。「入口」の事象が「宇宙(ソラ)」だと喝破したくない。いや、そうあって欲しくない。出口のない入口ほど戦慄するものはないからだ。もどそう。そうだ。ボクは靴底の減りがはやい。ただそれだけに留めておくことに決めたんだ。
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