文法について/パンの愛人
弁するのは、もしかしたら、自分で自分に裏切られた結果であるかもしれないのである。
私は冒頭で、どのような言葉の使用も禁止されてはならない、ということを確認した。で、なぜ私がそのように思うかといえば、私は「個人」であることの絶対性をつよく確信しているからである。
しかし、「個人」とは本来的に相対的な存在であり、そのような自己絶対化はかならずどこかで挫折してしまう。
だが、私は同時に、芸術の存在とその自明性を疑わない。そして、それによって「個人」の絶対性への道はつねに確保されているのである。
「芸術の存在とその自明性を疑わない」という私の認識を、ひとは甘いと笑うかもしれない。しかし、その一方で私はいつでも芸術を捨てるだけの用意はしているつもりなのである。
戻る 編 削 Point(5)