文法について/パンの愛人
 
rom=listdoc.php%3Fstart%3D0%26cat%3D5)は、言葉の乱れのなかにも、ある積極的な意義を見出している。

 しかし、これだけだと、RANRARARAN氏の主張はかなり怪しげなものに思われてしまう。
 RANRARARAN氏は正岡子規の活躍を論拠に、「調べ」が「定型短詩の生命」であるという立場から、現代性を帯びるためには文法的真実を廃することも辞さないとしている。
 まず一読して私が疑問に思うのは、自作を挙げて、「その人が少なくとも一首の『調べ』に関しては、頓着がないことを示しているではないか」うんぬんという箇所で、そこでさっそく挙げられた二首を読み比べてみる
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