教育について/パンの愛人
わかるとおり、そういったの図式もまた容易に反転しうるはずであり、しかし、その点について、渡邊氏はどういうわけか平然と看過しているように見えるのである。
たとえばつぎの箇所、
彼/彼女は「私が教えていることは正しいし、私が取っている行動も世の中の教養を上げるために役立っている」と、自分正当化をする。そしてその正当化で思考停止してしまう。思考停止してしまうから、自分がとった『教育行為』が、相手にとっては突然襲い掛かられた言葉の暴力に過ぎないことにまで、思いが至らない。
「教育行為」がかれにとって「言葉の暴力に過ぎない」のはなぜだろう? それは、もしかしたら、かれの思考が停止してい
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