教育について/パンの愛人
るかは怪しく思われる。有限空間といっても、かならずしも中心点があるとはかぎらないし、なにより理屈が先行しすぎていてあまり実際的ではないかもしれない。
第二には、もっと直裁に、正常、異常を一種の政治性として考えてみることである。とくに道徳的な思考は、超越的な価値によって生のありようをとらえようとする。それはいわば「体制」であり、「審判」、「禁止」、「服従」、「強制」といった、ネガティブな措辞によって概念づけることができる。
たとえば渡邊氏はファシズムの例を挙げているが、ファシズムが悪であるのは、窮極的には個人の自由を圧殺するからだとしか言いようがないと私は思う。では、なぜ個人の自由の圧殺
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