むしろ現代のはらわたとして/大村 浩一
を言わ
れ現代人としての知性を与えられながら、だ。
ひらべったく言えば「こころの問題」ということにもなるが、ともあれこのあ
たりの抑圧を何とか抉り出さなければ現代人の問題意識に届かない、という事態
に現代詩が直面した時に出現したのが、いわば「超」私小説的なラジカルな詩表
現だったように、私は思う。
その現実を性表現の側から端的に抉り出してみせた詩人として、伊藤比呂美と
いう傑出した詩人が居る。
イヤ今も居るのだが(笑)子育てエッセイなどで知られてからは、この詩人の
こういうラジカルな面は、ナゼだか語られなくなった。
今日たまたま1985年の現代詩手帖・イェィツ特集を
[次のページ]
戻る 編 削 Point(10)