私は詩人ではない。新しい芸術/奥津 強
 
のだ。
生活に意義を見出している人、自分の人生を構築する手段としての芸術だとしたら、それらにジャンルわけは出来ないし、そもそも、今俺が使用しているのは日本語。そして日本語の何かによって表現するというのは、どうなのだろうか。

才能は他人の評価で決まるのだろうか。
多分、決まったルールに沿った芸術だから優劣が決まるのだ。比較出来ない新しいアートをどんどん生み出していく事だ。

そういう意味で、俺は六崎君は新しい人だと思う。お世辞ではなく、彼の作品にポエジーはないと正直思った。詩心というものがあの作品には通常の表現ではなく、その代わり言葉遊びから、一種類のミューズへの判定が下されて
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