純粋正義への架橋22/チャオ
 
間、誰かの顔が微笑む、うざさを持っていたい。

「ナルト」好きの男の子に、ニーチェを力説しても微笑まない。
「哲学」好きの女子大生に「稲中卓球部」をごり押ししても好かれない
「サッカー」好きの男性に「フッサール」を語っても、「フットサル」を語りだすのが関の山だ。

それなのに、突然反応を見せるときもある。

そりゃあ、足中にテーピングを巻き、走っている人間に「ニーチェ」の超人論の意見を求めはしないだろう。だけど、僕は足中にテーピングを巻いて、100キロ走りながら「超人論」を信じていた。その向こう側へ飛ぼうと。

いくつもの命がある。だからいくつもの言葉がある。
テーピングをま
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