ことばのさんすう・序/れつら
 
すれば、それは逃走する対象を明確に把握するため、それによりはっきりと逃走できるようにするため、にほかならないのではないか」と述べている。まさしく第一のこの文章の目的は、これである。ここから鮮やかに逃走するために、僕は書く。

あるいは、大変初歩的な、つまらない言説に堕するかもしれない。
しかし、使ってきたと自身が明瞭に言えるものを記していくことにする。この道は、もう二度と歩まぬ道になるかもしれないし、何度も往復せざるを得ない道になるかもしれない。それはまだわからない。
ただ、歩いた後がすなわち道になるわけではない、それだけはわかる。道として歩ける、そう思われたものこそが道なのだ。僕は、道草をするために、道を作ろうと思っている。




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