かがやかせるもの/白井明大
 
れる、ということです。

こうした経験は、じつはけっしてめずらしいものではない気がします。

ただ、そのときなにが起きているのかは、ちょっとたちどまって考えたいことのように思いました。

音韻が、意味を輝かせる、ということさえ、わかったような気でいたけれど、ぜんぜんわかっていなかったのだということが、明らかになってもきます。

まぶしい詩がいまもかたわらにあります。

       *

最初の二連を引用してみます。


 きのう来たとき道にあり、目じるしにとひろい上げ、木橋までは
もちあるいた石がゆくさきにみえる。

 たとえみえてはおらず、忘れられてあるとしても、いまも木橋で
ある板は、歩みわたれるもののように簡素に溝にわたされている。


                  (貞久秀紀「木橋」より)
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