世間の捉え方/岡部淳太郎
 
数の人々が集った場であるならばなおさらで、個人にとっては自分以外はすべて世間の回し者であるかもしれないのです。これは実社会だろうとネットだろうと同じことで、たとえば有名人がネット上でよってたかってバッシングされるということが、掲示板やソーシャル・ネットワーキング・サイトなどでよく見られます。そこではその有名人をバッシングすることが、世間での価値観になってしまっているのです。そういうところへそれはちょっとおかしいんじゃないかと、周囲と違う意見を持って割って入ると、それが世間が持つ価値観と違っているために浮いてしまう、言わば「空気を読めない」発言になってしまうのです。ネットと言えども世間であることに変
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