共感装置の勝利/岡部淳太郎
なところで思い違いをしているのではないかと思えてくる。難解な詩も平易な詩も、日本の現代詩は見かけから想像されるのとは別のところでルーツを同じくしているのではないか。だから、単なる難解さの排撃では意味がないように思えるのだ。
これまで述べてきたように、ポエムは一種の共感装置としてあり、日本の詩の流通の現場では、ポエム的な共感装置こそが勝者として大手を振って歩いているように見える。その意味で、読者の獲得に失敗した現代詩は敗者であるのかもしれない。ポエムと現代詩を並列させて性急にどちらが正しいなどと言うつもりはないが、ポエム擁護派に対してはいま述べたようなポエムと現代詩の特質の違いを述べた上で、現代
[次のページ]
戻る 編 削 Point(10)