悪意の在り処/岡部淳太郎
 
つけているようなことになっていた。そしてそうなってしまったのも元はといえば、自らに向けられた社会的な視線というものに私があまりにも敏感であり、それらのひとつひとつをいちいち自分の問題として(たとえうまく言語化は出来なくても)抱えてしまっていたからなのだ。私にとって世界は私自身か私ではないものかのどちらかしかなく、いつもそうした対立構造でしか世界をとらえることが出来なかった。考えてみれば何ともわがままな人間である。いつも自分のことしか考えていないのに、そのくせ他人を思いやるということをしてこなかったのだから。
 こんなことを書くと、危ない奴と思われるかもしれないが、実際その通りであり、私は自らに対
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