若さと老い/パンの愛人
集めること」、すなわち「単に思い出すこと」が必要であるとしている。
このような積極的な懐古は老人だけに許された特権であろうが、その積極性がいまのわたしにはいくらか眩しく見えるのである。
人生への積極性は、一方的に与えられるものではないのだ。それはわたしたち自身が発見し、ときには発明しなければならないものなのだ。それは、わたしにとってあまりに明白な事実である。ではどのようにして? その解答も、わたしにとってあまりに明白なものである。つまり、――ただひたすら生きることによって。
そして、このように書くことによって、わたしは近頃低調なわたしを積極的に鼓舞したいと考えているのだ。
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