「感性の論理」はどこからくるのか---詩の非論理的な領域を読むということ、詩の非論理的な領域を書くと.../N.K.
 
いを立ててみたい。それは、それらを媒介する詩人の「感性の論理」の可能性として、ある解釈者によっては別様に媒介され、大岡によっては「もちろん大いに必要な面はあるけれども、それをあまりに強調すると、どうも無理な点が出てくる」14 とされた「暮鳥が牧師さんだから、あるいはキリスト教徒だから」という視点を掘り下げることが、その一つの可能性ではないかということである。一つの精神性および普遍性とまで呼ばれるもの、そして何よりも暮鳥自身が感じていたであろうリアリティを私には私自身へとその可能性を手がかりにせずには、引き寄せることができない。
 岬が光ってその下に魚たちたちはむれ、「岬にみちは尽き、空は澄み、そ
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