モリマサ公の日曜は父親と遊園地に行こうを読んで/イダヅカマコト
 
記憶に残りそうもない風景で立ち止まる
振り返る
水たまりや家と家の隙間で
とじられていくまぶたの音

わたしたちはどこにだっている



 ここにいたるまで使われている大きなイメージは、子供の保育所を探すこと、911の映像、(多分2004年の)スマトラ島沖地震のニュースを見て、語り手の父親の安否をたずねる電話です。子供の保育所が結局見つかったのかは語られていません(見つかってないことを推測して読めることは読めます)。インドネシアにいるらしい父親は助かってると語り手が答えていますが、ほんとかどうかは分かりません。

 ここでは、「乳飲み子がないていること」・「父親の安否の心配
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