もうひとりの私 /服部 剛
 
教習所の便所の窓辺に 
もう十日以上も 
大きな蚊の死骸が横たわっている 

無表情な丸い黒目 
力の抜けた細い両足 
広げたままの羽 

小さい魂は 
すでに 
何処かを 
翔(と)んでいるような気がする 

教習所の階段の隅には 
もう二週間も 
誰かが吐き捨てた梅の種が転がっている 

色あせた赤み 
薄れた酸味 
風に溶けた匂い 

見えない種は 
すでに 
何処かの 
土地に蒔かれている気がする 

それらを通過して私は歩行する 
それらを遠ざかり私はアクセルを踏む 

右のミラーに映る 
清い天使の瞳をした私 
左のミラーに映る 
物乞いの涎(よだれ)を垂らす私 

わたしの知らぬ遠い何処かを 
( 今 ) 
も歩行している 

もうひとりの私 







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