詩人のシノギ(島崎藤村の巻)/みつべえ
 
体の詩の創作は、その可能性に多くの者たちをひき寄せていった。その後の十年をみると、前半は「新体詩抄」の「抜刀隊」が西南戦争に材をとったものであるように叙事詩が多く、湯浅半月の「十二の石塚」(明治18年)、落合直文の「孝女白菊の歌」(同21年)、北村透谷「楚囚の詩」(同22年)などがつくられたが、そのあたりから訳詩集「於母影」(同22年)、宮崎湖処子「帰省」(同23年)、中西梅花「新体梅花詩集}(同24年)などの浪漫的な抒情詩があらわれ、際だったふたつの流れとなって熟していったようである。
 そして、その浪漫的な抒情詩の流れのさきに開花したのが、島崎藤村の「若菜集」(明治30年)である。これは近代
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