詩人のシノギ(訳詩集「於母影」の巻)/みつべえ
抄」の作者たち(大学教授)がそうであったように、今も昔も言葉の使い手は「知」の司祭でもある。なぜなら知識は言葉によって貯蔵されるからであり、好むと好まざるとにかかわらず、かれらは常に情報の最先端に立たされる。識字率が現代ほど高くなかった当時にあっては、外国の詩を読み解くツールを修得した者は、それだけでじゅうぶん特権的であったであろう。
森鴎外(1862〜1922)は、津和野藩主亀井家の典医、森静男の子として生まれた。5歳から「論語」の素読をはじめ、翌年「孟子」を学習する。その後、四書、五経、左国史漢の復読に進む。8歳のとき父からオランダ語を、10歳で本郷壱岐殿坂の進文学社に入り、ド
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