音楽的詩論 一限目 「君が代」/風見鶏
 
もそもナンセンスである。
 第一、古今集の賀歌には聖代を寿ぐ意識よりも、長寿を祝い、祈る意識のほうが遥かに強い。
 なにより、マスコミュニケーションの発達していないこの当時の民衆にとって、君主とは手の届かない、想像も付かない、雲の上の神や大昔の伝説、おとぎ話に近い概念であった事も注目するべきで、これを踏まえると、当時の『君が代』における「君の長生」を祈る歌詞は、民衆にとって忠誠心や尊王とは切り離された「祝福」に近い意味で捉えられていたと考えられるだろう。

 それを踏まえた上で清志郎の『君が代』を振り返る。

――俺の目の前にいる君がよ
――今日よ大阪城ホールによ
――来てくれてよ
[次のページ]
戻る   Point(1)