球体がある/パンの愛人
生きた人間であるかぎり、自分の信念を曲げることはできない。しかしまた、生きた人間であるかぎり、いつまでも胎児のままではいられない。「世界と対決」することは、自分自身と対決することと同義である。
彼は自問する。自分の人生はどこにあるのか。時として、彼にはそれははるか前方にあるように見え、過去のもの、あるいは現在のもの、と見えることは滅多にない。むしろ、これから作るべきものと思われる。彼はそれを愛撫し、方向を決め、ためしてみる。彼にはそれが見えない。
だがとにかく、それが彼の人生なのだ。
最後にぼくはもう一度、ミショーが己れの存在様式への「決意と苦悩」というジレンマにポエジーを見出した点を強調しておきたい。
「Aの肖像」は次のセンテンスで終わる。
だが、彼はやがて死のうとしている……
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