聖性、冬、機械/ケンディ
 
さえあれば見ることができる。地球の裏側の人も何もかも。自身の生活のデータ化もその現われだったと思う。今見ることができないものでも、科学さえ発達すれば、原則として見ることのできないものもない。当たり前のことなのだが。彼の説法でそのことはよく繰り返された。彼はよく楽しそうにつぶやいた。見える見える。あらゆる物が見える。
 彼は見続けた。彼はこのすばらしい視力を人間の価値そのものだと断言した。視覚は能動的で、積極的に対象の情報を掴み取る。それに対して聴覚は受け入れるようで、受動的だ。だから聴覚は卑しいと。音楽は奴隷づくりの作業だといって彼は音楽を嫌った。
 こんな複雑怪奇な彼に私は惹かれていったのだ
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