エトランゼの行方/パンの愛人
 
「絶代の美貌にめぐまれて、それが衰えぬ若さのあいだに死にたかった」というのは
世紀末的な倦怠感と読むことができる。
しかし、死に損なった人間の、あとの人生は余計であるという認識が表明されていると読むこともできる。
つまり、自分は余所者であるという感覚である。
余所者―それはまたエトランゼに与えられたひとつの資格である―の視点が、
かれらに現世の政治経済諸般にたいする批判の目を提供したのではないだろうか。

ところで、戦後に書かれた鮎川の詩や散文を読むと、そこに驚くほどのクリスチャニティがみとめられる。
(「カソリシズムとコミュニズム」といった文章も書いていたはずで、ただしこれはTSエリオットに示唆されたものだろう)
金子には「IL」というキリストと山之口獏を重ね合わせた詩集が存在するが、
両者の宗教観には相当の隔たりがあると思う。
そしてなんといっても両者における女性観の差異である。
この辺はまた別の機会にするとして、以下つづく。
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