ルーアンの鐘 /服部 剛
彼は文学館の一隅に再現された、今は亡き作
家の書斎に立っていた。木目の机上には白紙
の原稿用紙が一枚置かれ、スタンドの灯りに
照らされていた。
まだ何も書かれていないその白紙に、彼は旅
行中で家にいない家族や、休養中でしばらく
顔を合わせていない職場の同僚達の顔を想い
浮かべた。
体調を崩し休養する前は毎日当たり前のよう
に顔を合わせ、何とも思っていなかった人々
が、その書斎に立っていると何故か彼の胸の
内に、言葉にならぬほどかけがえのない人々
のように感じられた
[次のページ]
戻る 編 削 Point(1)