神の祝福に添えて/風見鶏
 
 西洋の怪しげなカルト教団の伝承を信じるならば、人は遥か遠い昔に知恵の実を口にした事によって楽園を追放され地を這う下賎な生き物に成り下がってしまったようだ。とはいえ人は知恵を手にする事によって自然の恐怖を克服してきたし、それによって救われた命も少なくは無いだろう。無意味に自然に脅え野蛮な風習に頼る事をしなくなったし、脅威の正体を見極め知恵を絞る事によってそれを克服してきたのもまた真実だ。人は自然と自身を分離して考えるようになり、神々の手から離れる事によって自身の価値を高めるようになった。脆い腕を補うために武器を作り、自然の恐怖に対抗するために堤防を作り、道を作り、明かりを作り、翼の代わりに機械で空を支配した。しかしながら、そうしてやる事が無くなると今度は知恵を自らの退屈を補うために使うようになった。1999年サントリーが青い薔薇の開発を成功に収めた。世紀末の詩で青い薔薇を「神の祝福」として捉えたのは全く持って性質の悪い冗談だと思う。「不可能」の象徴であった青い薔薇ですら現実に叶えてしまう人の欲望は、神々と自然を置き去りにしてこれから一体何を生み出していくのだろうか。
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