土曜日生まれの水辺/
 
を取り囲んでいる空間は、全然明るくない。
照らされた自分と、それを覆う圧倒的な闇との境目を、人間は火を灯すことで明示化してしまったということも言えるのではないでしょうか。

闇とは「魔」であり、「魔」は大抵理不尽であり、結構しんどい物事でしょう。
それをみんなで少しずつ負担していく。
何らかの理由で仮死埋葬してしまった農夫に対する贖罪を、
村全体がstrigoiiという物語として負担する。

負の負担から始まる人間関係を簡単に破綻させることはできません。
一抜けしたら速攻ユダ扱いですから。
そうした意味で、人間社会における「魔」の負担システムというやり方は、根強く、堅固に、今に
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