追悼 Joe Zawinul/Dr.Jaco
 
節の陳列において感じるテンポは「ゆっくり」、殊
更に向かってくるのでもない言葉なのになぜ自分の鼓動が早くなって心が饒舌になるのかということ
なのであった。(北園克衛のことはかつて別の場所でさんざん書いたのでこの辺で)

おかげで私は速いだけの、がなりたてるだけの、ぶちまけるだけの、キーキー言うだけの詩は書くま
いと勝手に自分に誓ったのであった。20歳から25歳までの間にあったこの変化に私は非常に感謝
している。

ハイデガーなんぞにも関心のあった彼は、ちょっと近寄りがたいジジイになっていたのかもしれない。
しかし制御された楽曲の中でファンキーに叫ぶ愚かさでなく、聞き手にファンキーに叫ばせる機会を
プレゼントする、そういう愛情の持ち主であったと思うのである。
与えるということはそう簡単ではない。感謝するだけの寂しい夜に、大音響で彼の最新ライブアルバ
ムを聴いていた。


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