批評は愛か、それともエゴか。/宮前のん
 
れない。
でも私の母親は、エゴイズムで私を育てたけれど、本人には全く自覚は無い。
むしろ、その横暴とも言える押し付けを「愛」だと言ってはばからない。
「あなたのためよ」と言うことを止めない。自分のためだろ!って言いたくなる。
私だって、愛を持って子供を育てようとしているけれど、いつのまにか
エゴになっていないか、そういうのがふと心配になる時がある。
理想を、自分の理想をただ単に押し付けているだけなんじゃないか、と。

私は「批評は詩のために、愛を根源にしたい」と思う。
でも、エゴになっていない自信はない。
だから、常にエゴになっていないか、検証しなければならないし、
あるいはエゴな部分を認めながら、愛をベースに語りたい。
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